2012年7月30日月曜日

ソーシャルメディア上の人間像

ソーシャル上の人物と実際に会って話す個人とはどのような違いがありますか。
私は、基本的にこの二つは同じものではないかと思いました。

ネットのすごいところは実際の自分とはまったく違う自分を作れる点だと思います。
名前も、性別も、性格も。嘘は嘘なので一概に良いこととは言えませんが、完全に悪というわけでもありません。
ただ違う自分になりたいというだけなら、きっと誰しもが一度は考えることだと思いますし、
実際の生活では自分を素直に表現することのできないような人もいるだろうからです。
それはその人の環境や境遇のせいかもしれませんし、性格のせいかもしれません。
そんな息苦しい思いをしている人の中には、ネット上の、「なりたかった自分」が存在することで
何とか日々をやり過ごしている、ネット上の自分に救われているという人も少なからずいるのではないでしょうか。
思っていることがはっきり言えて、愚痴もこぼせて、周りから必要とされている自分。映画の中にも登場していました。
実際私がネット上で出会い知り合った友人の中には、直接会って話してみるとまるで印象が違うという子が何人かいて、
比較的大人しい性格の子にその傾向が強いように思いました。
私自身、実際はあまり話すことが得意ではなかったけれど、以前ブログやSNSに登録していたことがあり、
その中での自分は本来の自分よりも数倍イキイキとしていた気がします。
ネットの中では日常の些細な出来事も面白おかしく表現できました。
周りから面白いねと言ってもらえるのが嬉しくて、ブログも気合入れて書くようになりました。
そこで少し思ったのですが、「周囲からの期待」もまた、実際の自分とは違う自分を作り出す要因になるのかもしれません。
私の場合ですが、「面白い」という期待がだんだんとプレッシャーになってきて、
何か面白いことを書かなきゃ、嘘でもいいから、と思うようになったのです。
しばらくはその気持ちで頑張りましたが、それはもう日記でもなんでもないんじゃ…?と気付いて結局やめました。
もしあのまま突き進んでいたら、それはもう見事なまでに実際とは違う自分を作り上げていたと思います。
こうして考えてみるまで気付きませんでしたが、自分の意思とは裏腹に異なる自分を生み出してしまうこともあるんですね。

話を戻しますが、なりたかった自分がネット上の自分であるとするなら、
それも本当の自分の一部分であることには違いないと私は思います。
表には出せないけれど、心のどこかに存在していた自分です。
普段思っていることを言わないから、いざ本音を知ってしまった周囲の人がギャップに驚いてしまい、
別人格だ、嘘を言っている、というように捉えてしまうのではないでしょうか。
ネット上では知りえる情報も限られているので、勝手なイメージでその人を塗り固めてしまうことも多いです。
そのため、当人の中では「違う自分である」という認識すらない場合もあるかもしれません。
もちろん娯楽のために、面白半分に自分を偽る人もいますが…。

ただ何にしても、映画の主人公のように他人を巻き込むのは良くないと思います。